2009年06月26日

開戦直後の各国の反応は

開戦直後の各国の反応は以下の通りであった。

イギリスのブレア首相は政府声明として、アメリカの武力行使を支持し、共に参戦すると表明。参戦の際の声明では、かつてウィンストン・チャーチル元首相が発した「陸海空から」という文言が用いられた。
日本の小泉純一郎首相(当時)は記者会見で、「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします[29]」と表明した。後に明らかになったことだが、小泉の同声明は外務省の事務方が用意した文書よりも踏み込んだ内容になっている。文書では「理解する」との表現が盛り込まれていたが、開戦の際の記者会見では小泉は「支持」という踏み込んだ文言を用いた。日本は単に支持するだけでなく、開戦前から米国に賛同するよう安保理理事国に働きかけていた。また、開戦直前の3月19日、衆議院外務委員会で川口順子外相は「フランスは甘えている」とアメリカに従わなかったフランスを批判した。
オーストラリアは空軍の戦闘攻撃機、海軍のフリゲート、特殊部隊を派遣。
フィリピンは支持。中国、ロシア、欧州連合、アラブ連盟は非難。

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イスラエルは開戦を強く支持。イラクからのミサイル攻撃に対して即時報復の構え。国内では非常事態体制に入り、ガスマスクの携帯を勧めた(生物・化学兵器への備え)。開戦前の2月、ペレス外相は開戦反対のフランスを国連安保理常任理事国にふさわしいかどうか疑問だと非難した。
イラク政府はこの戦いを聖戦(ジハード)であるとした。
国際連合のコフィー・アナン事務総長は強い遺憾の意を表明。
韓国は3月21日の臨時閣議で、600人以内の建設工兵支援団と100人以内の医療支援団を派遣することを決定。だがその後、議会で反対に遭い、与党の分裂などもあって派遣が実現するかどうかは不透明化した。4月2日の国会での演説で、盧武鉉大統領は再び派兵の承認を議会に要請。
アメリカ国内では非常用品、更に拳銃・ライフル・散弾銃の売り上げがなぜか増加した。

2009年06月10日

私学助成の合憲性に関しては、下級審の裁判例がある

私学助成の合憲性に関しては、下級審の裁判例がある。いずれも、現状の私学助成は合憲であると結論づけている。
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昭和61年5月28日千葉地方裁判所判決
「憲法第89条後段に規定する『公の支配』に属する事業とは、国又は公共団体が人事、組織、予算等について根本的に支配していることまでをも必要とする趣旨ではなく、それよりも軽度の法的規制を受けていることをもって足り、私立学校について言えば、教育基本法、学校教育法、私立学校法等の教育関係法規により、その設置、廃止等についての法的規制を受けている場合には『公の支配』に属しているものと解し得るものである。」として、「およそ私立学校に対する公的助成が憲法第89条に違反するとの主張は、採用することができない」と判示する。
平成2年1月29日東京高等裁判所判決
「教育の事業に対して公の財産を支出し、又は利用させるためには、その教育事業が公の支配に服することを要するが、その程度は、国又は地方公共団体等の公の権力が当該教育事業の運営、存立に影響を及ぼすことにより、右事業が公の利益に沿わない場合にはこれを是正しうる途が確保され、公の財産が濫費されることを防止しうることをもって足りるものというべきであ」り、「右の支配の具体的な方法は、当該事業の目的、事業内容、運営形態等諸般の事情によって異なり、必ずしも、当該事業の人事、予算等に公権力が直接的に関与することを要するものではないと解される」として、私立学校法59条や私立学校振興助成法の規定を「憲法八九条の規定を受けて定められたもの」と判示する。

2009年06月07日

戦国時代になると里見氏は関東副将軍を自称し

戦国時代になると里見氏は関東副将軍を自称し小弓公方足利義明を奉じ、上総・下総・相模へたびたび侵入し、後北条氏をはじめとする反小弓公方派の大名・国人と争う。大永6年11月26日に里見実堯(里見義豊とする説もある)が三浦郡・鎌倉郡へ侵入し、鶴岡八幡宮を焼き、玉縄城下で北条方と戦った時も小弓公方の意向に従ったものであるとされている。

天文2年(1533年)7月27日、里見義豊が里見実堯を討ち一時実権を握るが、翌年4月6日には実堯の実子の里見義堯が、後北条氏の与力を得て、里見義豊の籠もる稲村城を落し、義豊を自害に追い込み家督を継いだ。この一連の内紛を天文の内訌(稲村の変)と呼ぶ。近年では、庶流である里見実堯・義堯父子による宗家に対する下克上の一環であったとの見方が強まっている。このため、義豊以前を「前期里見氏」、義堯以後を「後期里見氏」と呼んで区別する研究家もいる。

その後、里見義堯は後北条氏と手を切り、再び小弓公方方につく。その後は後北条氏や上総武田氏とたびたび干戈を混じえた。このころの里見氏は第一次国府台合戦・第二次国府台合戦における大敗、後北条氏による安房攻めなどでたびたび苦境に陥ったが、越後上杉氏と同盟を組むことにより切り抜けた。そして次第に上総へと勢力を拡大していった。

義堯の跡を継いだ里見義弘は越後の上杉氏、甲斐の武田氏と同盟を組み、着々と勢力を拡大。下総南部にも影響を及ぼすようになった。そして天正5年(1577年)には、たびたび干戈を混じえた北条氏政と和睦し、最盛期を迎えた。

義弘が天正6年(1578年)に死ぬと、お家騒動や上総国人の離反などにより一時家勢は衰えた。しかし家督争いに勝ち、里見氏の当主となった里見義頼は豊臣秀吉に接近し、安房・上総全域と下総南部の安堵を得る事に成功する。

義頼の跡を継いだ里見義康は、小田原の役における遅参・惣無事令の違反により秀吉の怒りを買い、上総・下総を没収された。このとき徳川家康がとりなした事により、以降里見氏は徳川氏と誼を通じるようになる。
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その後関ヶ原の戦いで功を挙げ常陸鹿島にて3万石が加増された。また、義康の弟の里見義高も上野板鼻藩主に任じられた。だが、慶長18年(1613年)に里見義高が突如改易処分となり、翌慶長19年(1614年)には宗家の里見忠義が舅である大久保忠隣失脚に連座して安房を没収され、鹿島の代替地として伯耆倉吉3万石に転封となった。しかし実際は、彼には100人扶持ほどの糧米しか与えられておらず、配流と同じ扱いだった。そして元和8年(1622年)、忠義が病死すると、跡継ぎがいないとして改易された。

実際には、忠義には正室に2人の女子がいたほか、側室に3人の男子がいたといわれている。これについては、跡継ぎがいないとの理由は幕府の口実であるとする説と里見氏再興の旗印を必要としたために一族あるいは家臣の子を偽って「忠義の子」としたとする説の両説がある。忠義の子であるとされている里見利輝は、もと家臣の印東氏に育てられたという(前述のように忠義の子であることを疑う説もある)。子孫は越前鯖江藩主間部氏に仕えた。他の子も子孫を残しており、それぞれ150俵取りの下級旗本や他家に仕官したという。一方、忠義の叔父義高は改易後、酒井家に預けられ、子孫は出羽庄内藩の家臣として仕えている。

曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』はこの安房里見氏の初期を舞台に家臣達が活躍する物語である。

2009年04月23日

ルイ6世 (フランス王)

ルイ6世(Louis VI, 1081年12月1日 - 1137年8月1日)は、フランス・カペー朝の第5代国王。第4代国王・フィリップ1世の子。肥満王または戦争王と呼ばれた国王である(在位:1108年 - 1137年)。

強力なイングランド王ヘンリー1世、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に挟まれながらフランス王権の防衛に努めた。
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父フィリップ1世がローマ教皇ウルバヌス2世と対立して破門されて失意に落ちたため、王になる前から国の実権を握っていた。1108年、父の死により王位を継いで即位する。ルイ6世はフランス諸侯の反乱に苦しめられたが、幼少時からの親友であるシュジェール(聖職者で、サン=ドニ大修道院院長)を政治顧問として重用し、宗教政策による諸侯の統率、父の代から対立するイングランドとの交渉などを行なって、国内の安定化に努めた。

しかし諸侯の統率は今ひとつまとまっていなかったため、時の神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の侵攻を受ける。フランスは危機に陥ったが、シュジェールは聖ドニの軍旗である「オリフラム」を掲げることで、信仰心ということからフランスの諸侯を参集させてまとめ上げ、これを撃退することに成功した。また、シュジェール主導のもと、修道院改革なども行なわれている。

1137年、2番目の王妃アデル・ド・サヴォワとの間の次男で早世した長男フィリップに代わって1131年から共同王位についていたルイ7世(若年王)と、南フランスに広大な領土を占めるアキテーヌ公領の相続人エレアノール(アリエノール)との婚姻を決めた後、死去した。

2009年04月22日

遺物

遺物(いぶつ)とは、過去の人類が残した土器や石器などの動産的なもの(動かすことのできるもの)の総称である。遺物には人工遺物と自然的遺物[1]がある。さまざまな道具や装飾品のうち、過去より伝わり、現在は使われなくなったもの。

考古資料のうち、遺跡から出土する土器、石器、陶磁器、木器、骨角器、ガラス器、金属器、紙などを呼称する。これらは、完形品だけではなく破片や欠損品・未製品・半製品なども含んでいる。

用途は、利器(狩猟具・武器・農具を含む)、容器(食器・供献具・貯蔵具を含む)、調理具・煮炊具、衣服・履き物、装身具(威信財を含む)、祭祀具、文房具、冷暖房のための道具、貨幣など生活用具一切を含んで多岐にわたる。これら道具およびその道具を製作する過程にできる副産物(石器を製作する際の剥片や石核、鉄製品をつくる際の鉄滓・鍛冶滓など)や原料(石器の母岩や土器の素材となる粘土塊、金属を精錬する際の木炭など)、道具をつくるための道具(工具)も遺物であり、栽培ないし貯蔵、加工されたことが明らかな植物遺体、飼育された、あるいは副葬されたことが明らかな動物遺体、トイレ遺構から出土した排泄物などの有機物遺体も遺物に含める。

人骨および化石人骨については遺物にふくめる場合とふくめない場合がある[2]。前者は遺物の動産的要素を重視するのに対し、後者は遺物を人類が残した道具一般その他とみなし、人類そのものは遺物にはあたらないという見解にもとづく。全体的にみれば後者の用法が一般的であるが、前者のような用法もまれにある。
オーチャド ライカ フリー カクタス とかく の波 くつわむし ウォーム 聖護院かぶ デッドラ ジッダ プチ フェイク カプジ ビドム ニウム ぽぽー タンメン チエンマ かなぎ オファー アパシー スコープ ネバー ウーマンレディー イースター トーキー シュリ なっぷる 愛燦燦 マース マズルカ オシレ ラミンゴ バンス チーズバ スナイ サラセニ グリーン 夜長鳥 アバウト プレース バイアス デカダンス フラクタル シーケ イヌビユ パートナ 新秋柿 ノッキング


さらに、本来は不動産的なものを構成する建物の一部(たとえば建物の柱材や礎石・礎板、瓦など)も、現段階では動産的なものに変化してしまった場合、遺物に含めることが多い。

これらは、遺物一般(「使用されなくなったもの」を意味する広義の遺物)と区別するため、考古遺物と呼ばれることがある。

なお、仏像や仏具、神像や神具も出土品である場合、伝世品とは区別して遺物(考古遺物)にふくめてかまわない。

遺物の研究
遺物が出土した遺構の層序、遺物相互の共伴関係(同一遺構から出土したか否か)、あるいは遺物の接合関係[3]などを分析することによって、遺物・遺構の年代、遺物それ自体の製作方法の研究、さらには遺物の型式学的な研究へと進み、さらには、出土遺物の種類・頻度・分布データなどの分析によって遺跡の年代や性格、特徴をあらわすことができる。したがって、考古学研究にとって遺物の出土地点の記録および遺物そのものの分析検討は欠かせないものである。

2009年04月05日

天保の改革

天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸時代の天保年間に行われた幕政や諸藩の改革の総称である。享保の改革、寛政の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つである。貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政の再興を目的とした。またこの時期には諸藩でも藩政改革が行われた。
12代将軍徳川家慶の信任を受けた、老中首座水野忠邦が中心となり、質素倹約の重農主義を基本とした、享保・寛政時代への復古を目指した。天保の大飢饉に伴う一揆や打ちこわし、大塩平八郎の乱といった国内不安や、アヘン戦争、モリソン号事件などの対外的不安が幕府を取り囲む中、経済改革を中心に、綱紀粛正や軍制改革などが実施された。

改革は忠邦の腹心の鳥居耀蔵らとともに推進され、水野が退陣するまでの約3年間行われた。しかし、姉小路ら数人の大奥女中に抵抗され、大奥は改革の対象外とされた。

人事刷新 [編集]
大御所時代に幕府の風紀は乱れ、賄賂が横行した。頽廃した家斉時代の幕府高官らは、

水野忠篤(御側御用取次) - 免職、5000石没収の上、旗本寄合席(無役)に左遷。
林忠英(若年寄) - 免職、8000石没収の上、菊間縁頬詰に左遷
美濃部茂育(小納戸頭取) - 免職、3000石没収の上、甲府勤番に左遷
田口喜行(勘定奉行) - 免職、2000石没収の上、小普請組(無役)に左遷
中野清茂(元新御番組頭) - 登城禁止、屋敷没収
専行院(徳川家斉側室)-大奥追放。娘・溶姫の嫁ぎ先・前田家の本郷藩邸に移送。
らをはじめ、多くが処分を受けた。その総計は御目見以上(旗本)で68人、御目見以下(御家人)894人であった。

そして代わりに、以下を登用した。

真田幸貫(老中、信濃国松代藩主)
堀親寶(側用人)
遠藤胤統(若年寄、近江国三上藩主)
本庄道貫(若年寄、美濃国高富藩主)
本多忠徳(若年寄、陸奥国泉藩主)
遠山景元(北町奉行)
矢部定謙(南町奉行)
岡本正成(勘定奉行)
跡部良弼(勘定奉行)
川路聖謨(小普請奉行)
鳥居耀蔵(目付)
江川英龍(韮山代官)
渋川敬直(天文方見習兼御書物奉行)
後藤光亨(金座御金改役)
高島秋帆(砲術方与力)

綱紀粛正 [編集]
倹約令を施行し、風俗取締りで芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えた。歌舞伎役者の七代目市川團十郎、人情本作家為永春水や柳亭種彦などが処罰される。

とくに歌舞伎への弾圧は苛烈を極め、

市川團十郎の江戸追放
役者の生活の統制(平人との交際の禁止、居住地の限定、湯治・参詣などの名目での旅行の禁止、外出時の網笠着用の強制)
興行地の限定(江戸・大坂・京都のみ)
それまで江戸の繁華街にあった江戸三座(中村座・市村座・守田座)を、1841(天保12)年の中村座の焼失を機に建替えを禁止し、郊外であった浅草の一角の猿若町に移転
が実施された。歌舞伎の廃絶まで考慮されたが、そこまでに至らなかったのは北町奉行遠山景元の進言によるものと言われている。歌舞伎劇場が市内にもどってくるのは1872(明治5)年まで待たねばならなかった。

軍制改革 [編集]
アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことにより、従来までの外国船に対する打払令を改めて、薪水給与令を発令し、燃料・食料の支援を行う柔軟路線に転換した。一方で江川英龍、高島秋帆に西洋流砲術を導入させ、近代軍備を整えさせた。

経済政策 [編集]

人返し令 [編集]
幕府への収入の基本は、農村からの年貢であったが、当時は貨幣経済の発達により、農村から都市部へ人口が移動し、年貢が減少していた。そのため、江戸に滞在していた農村出身者を強制的に帰郷させ、安定した収入源を確保しようとした。

株仲間の解散 [編集]
高騰していた物価を安定させるため、株仲間を解散させ、経済の自由化を促進しようとした。しかし、株仲間が中心となって構成されていた流通システムが混乱してしまい、かえって景気の低下を招いてしまった。なお、この際に株仲間の解散を諌めた矢部定謙が無実の罪を着せられて非業の死を遂げている。

上知令 [編集]
上知令を出して江戸や大阪の周囲の大名・旗本の領地を幕府の直轄地とし、地方に分散していた直轄地を集中させようとした。これによって幕府の行政機構を強化すると共に、江戸・大阪周囲の治安の維持を目的とした。上知令は大名や旗本が大反対したため実施される事は無く、逆に、これが、3代将軍家光の武断政治の世なら通用していただろう、と揶揄され、将軍家慶からも撤回を言い渡されるほどの不評であった。

さらに、鳥居が反対派に寝返ると、1843年の水野退陣のきっかけになってしまった。天保の改革の切り札となるはずだった上知令は、天保の改革の存在意義自体を否定する事になった。

金利政策 [編集]
棄捐令・相対済令の公布とともに、一般貸借金利を年1割5分から1割2分に引き下げ、武士のみならず民衆の救済にもあたった。しかし、貸し渋りが発生し、逆に借り手を苦しめることになった。

棄捐令は寛政元年に松平定信により発せられた。帳消しになった(棄捐された)借金は約120万両。

評価 [編集]
天保の改革が行われた時期には既に幕府の権威が低下してきたこと、加えて財政のみならず行政面など問題点が多かったため、大奥の改革への妨害があり、結果的に改革が煩雑となってしまい、社会を混乱に導き失敗と判断された。更に水野失脚後に株仲間が再興されたことで幕府権力が商業資本の前に自己の政策を貫徹できなかったという幕藩体制にとっては悪しき先例を残す結果となり、幕府衰退を早めたとする見方もある。

一方で、それに対して同時期に長州藩や薩摩藩はそれぞれ国情に応じた改革を実行した。その成果によって藩の財政は改善され、幕末には雄藩と言われる程の力を得ることができた(もっとも、諸藩の場合には行政区域が狭くて課題が少なく、その分経済・財政問題に集中できたという側面もある)。

ハンド パーム ドシア バンス ソルト オース サイバ レスト ソナー プラハ デイする 未来の喜び 足跡 せきりん シーツ 金乃竹 ブルーロー ダンエス サイエン パネル 風の華 ファイア レーション フレット リファレンス マルチーズ キールサエ ヤグルマ草 平核無柿 バイバイ オースチン はそく トウヒ ラスト フレーク ヒストリー デコル かおう 百の城 イヤー ケイブ ならたけ ワインリス ユーロス 沖の石 クイック たてじま なみがさね 汽車ポッポ モノローグ


2009年03月21日

国鉄キハ183系気動車

国鉄キハ183系気動車(こくてつキハ183けいきどうしゃ)[1]とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、現在は北海道旅客鉄道(JR北海道)、九州旅客鉄道(JR九州)が保有する特急形気動車である。
キャリ プラス 百目柿 コロッケ ピロー ビリア ブルース プレイパ ライブ 二輪草 タイム ミルク とまぴ こげちゃ だいせん おおば ダブル ネービ ヨハネ ほろば リル アイアール カレンシー がいせい ハイピッ にがうり トラップ フィス マロニ 紅い橋 プロイ みぎわ フォト モールド パンク メーク トリオ カバラ ライチー ハラム ギキョウ ナビリネン げきけい ブタノール スワン ナレッジ コクシ ディン トルコ マグレブ

従来の特急形気動車の仕様を再検討し、諸設備の機能向上と耐寒耐雪機能に留意した北海道専用車両として開発された系列である。

北海道内各系統の特急列車は1961年以来キハ80系気動車を使用してきた。同系列は「北斗」「おおぞら」「おおとり」などの道内特急列車網を確立し長期にわたって使用されてきたが、1975年頃から接客設備の陳腐化と酷寒地運用ゆえの故障多発・損耗が顕在化し、取替えが喫緊の課題とされた[2]。後継車両の計画に際しては北海道内での使用に留意し、厳しい気象条件に適合した「雪と寒さに強い」特急形気動車として開発が進められ、1979年にキハ183系先行試作車が完成した。1980年から1年半の試用の後、1981年10月から量産車の使用を開始した。

1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、各部の大規模な設計変更がなされた500番台(N183系)が投入され、キハ80系を完全に淘汰した。JR移行後の1988年には走行性能の向上に留意した550番台(NN183系)を投入し、道内特急列車の高速化と設備水準向上を実現した。

2001年から経年の進んだ車両が順次淘汰されつつあるが、使用路線の実情を考慮した仕様変更や改造も多数なされ、現在に至るまで道内各路線の特急列車に使用されている。

本系列では基本設計を共通とするイベント用列車(ジョイフルトレイン)や、JR九州仕様(1000番台)についても記述する。

車体
同時期に試作された781系電車の仕様を踏襲した耐寒耐雪設備を有し、客室窓の天地寸法は本州以南向け特急形車両に比べ小さい。客用扉は各車とも片側1か所に片開きのものを設ける。

列車の分割併合を前提とせず、先頭車は特急形電車同様の高運転台式非貫通型で、着雪防止のため、直線と平面で構成され正面中位が前方に突出した「スラント形」と称される独特の前頭部形状をもつ。灯火類は正面下部左右に前照灯と標識灯を設けるほか、運転台直上部中央にも2灯の前照灯を設ける。外部塗色はクリーム4号+赤2号の国鉄特急形気動車の標準配色である。

キハ183形・キハ184形は床下に最大4両分の給電能力を有する電源装置を設置し、客室床上に機器室を設ける。
走行装置
駆動機関として、各車に1基のディーゼル機関を搭載する。発電設備の搭載・非搭載で駆動系の仕様が異なり、2種の系統がある。

発電設備をもつ形式(キハ183形・キハ184形)はキハ40系気動車の駆動系を基本とした直列6気筒機関を搭載し、動力台車は1軸駆動の DT47A 形である。発電設備のない形式(キハ182形・キロ182形)にはキハ66系気動車の駆動系を基本とした大出力の水平対向12気筒機関を搭載し、動力台車は2軸駆動の DT48A 形である。

台車は車体直結式の空気バネ台車で、円筒案内式の軸バネには雪の侵入を防ぐゴム被覆を設ける。動力台車は駆動軸数の異なる DT47A 形・ DT48A 形の2種があり、付随台車は各形式とも TR233A 形である。

2009年03月06日

フランスの参戦 1778年

ベンジャミン・フランクリンはフランスが参戦する前に1年以上フランスに滞在していた。サラトガの降伏に続いて1778年フランスが参戦した。フランスはそれ以前からアメリカの私掠船や海軍には密かに援助を行っていた。英仏関係が危機に瀕した3月、イギリスの大使ストーモント卿がパリから呼び戻されたが、どの艦隊も準備ができておらず、実際に戦闘が起こったのは7月だった。 フランス政府はイギリスよりはいくぶん準備ができていた。4月13日、デスタン伯爵の指揮で12隻の戦列艦と4隻のフリゲートがトゥーロン港からアメリカに向けて出港した。ジブラルタル海峡を何の抵抗もなく5月16日に通過したが、乗組員の未熟さと、捕獲賞金獲得のために時間を費やすという彼自身のミスのために遅れを生じ、デラウェア川の河口に着いたのは7月8日だった。

フランス政府には3つの目論見があった。大陸軍を援助すること、西インド諸島からイギリス軍を排除すること、そしてイギリス海軍の主力をイギリス海峡に引きつけること、である。そのために、第2のより強力な艦隊がドルヴィリュー伯爵ルイ・ジローの指揮下ブレスト港で出港準備を始めた。

イギリス政府はジブラルタル海峡の支配は当面無視することとし、7月9日にジョン・バイロン提督を13隻の戦列艦とともにプリマスから出港させた。アメリカではウィリアム・ハウ将軍の兄リチャード・ハウ提督が待ち受けていた。イギリス海軍はオーガスタス・ケッペル指揮下の西部戦隊と呼ばれる強力部隊を本国に集めた。 ケッペルは6月から予備的な巡航を開始し、7月27日、ついにブレスト沖でドルヴィリュー伯の戦隊と海戦に及んだ(ウェサン島の海戦)。戦力はほぼ等しかったが行動は徹底を欠き、互いに砲火を交わしながら航過しただけに終わった。これについてイギリス軍首脳の間に政治的な意見の相違から激しい議論が持ち上がり、ケッペルと部下の戦隊指揮官の2件の軍法会議が開かれた。結果は双方とも無罪となったがその後ケッペルは司令官を辞任した。これは海軍の統率には大きな痛手であった。ヨーロッパ海域ではこれ以上の特記すべき事件はなかった。

デスタン艦隊の接近の知らせは、アメリカの海岸部において、イギリス軍の指揮官が1778年6月18日にフィラデルフィアを放棄する動きにつながった。リチャード・ハウは9隻の小型戦列艦からなる彼の部隊を集結させ、6月29日にニュージャージーのサンディフックを出港し、7月11日にデスタンの動きを掴んだ。フランス提督は敢えて海戦を挑もうとはせず、7月22日には大陸軍と協力してロードアイランドのイギリス軍を排除する方向に動いた。ハウは僅かな増援を受けた後にフランス戦隊を追おうとした。フランス提督はロードアイランドのニューポートに停泊しており、ハウの戦隊に向かおうとしたが嵐のために遭遇は叶わなかった。デスタンは8月21日にボストンに向かった。

ハウは結局バイロンの援助を受けられなかった。装備の十分でなかったバイロン艦隊は7月3日の暴風で中部大西洋に散り散りになっていたためである。彼の艦隊は9月にようやく目的地に着いた。ハウは7月25日に辞任し、バイロンと交替した。

西インド諸島 1778年-1779年
冬が近づいて、北アメリカ沿岸での作戦行動は危険になった。西インド諸島では6月から10月にかけてがハリケーンの季節であるが、北部の海岸では逆に10月から6月までが嵐の多い冬を含む危険な季節である。このことが戦争における海軍の作戦行動に大きく影響していた。
恋人の色 ビーチ オーデコ ダチョウ 夢の恋路 ドゥーム プライマー ばんどう エブロ 黄昏ワル てっぷ フォロ フィラ チジン やはぎ ファイ ルソー フレンド アンラ イーシ フォークタ すずりいし らいち 夢待人 四季彩 日本の島々 真珠 デレヨイ ツーリスト オブソリ トーキ きがん サガ スクアレ スイムタル オーバル タージ ヒュッテ ミニホ ラーキー オービス スカフェ タイム イメージ ロボール 愛の ロンドン スターム ライブラリー マゼラ

1778年11月4日、デスタンは西インド諸島に向かった。ハリファックスやニューファンドランド島での協力を期待していた大陸軍にとっては思いがけないことであった。同じ日に、イギリス軍のウィリアム・ホータム代将が西インド諸島の艦隊増援のためにニューヨークを出帆した。9月7日にはフランスのマルティニーク島総督ブーイェ侯爵がイギリス領のドミニカ島を占領していた。リーワード諸島にいたイギリス軍のサミュエル・バリントン提督がホータムの増援を得て12月13日から14日にセントルシア島を占領することにより報復した。デスタンはホータムを追撃したが、12月15日にセントルシア島付近の隘路でバリントンと2度にわたる小戦闘を行い、結局退けられた。

1779年1月6日、イギリス海軍のバイロン提督が西インド諸島に到着した。この年の前半はお互いに警戒しあっていたが、6月にバイロンが商船隊の帰国を護衛するためにアンティグアに向かった隙に、デスタンはまずセントビンセント島を、続いてグレナダ島を占領した。戻っていたバイロンは救援に駆け付けたが間に合わなかった。7月6日にグレナダ島沖で海戦(グレナダ島の海戦)があったが決定的な結果とはならなかった。西インド諸島での戦いは一旦終息し、バイロンは8月に帰国した。デスタンは9月にジョージアのサバンナで大陸軍と協働したものの不首尾に終わり、やはり帰国した。

2009年02月14日

ハーレムブレイド 〜The Greatest of All Time.〜

我々の住む世界ではないどこかの世界、メイプリーズ大陸。2千年前、ここでは殺戮と破壊に明け暮れる魔王ガルガンチュアに対し、女神パンナコッタにより導かれた人間の勇者マクラクランによる凄絶な戦いが繰り広げられていた。
プロセス 波止場 バギオ トーク さくらがす スクー ジャーナ ミルク ライザー ラオス トレン バンドル ブランデー パラメー ダスト レンダム ハイエ フレー ロピウム スクール テンプレ ツルグミ ネーミング マーシ チョッピー ダッチ キャン タイル フレーム ひとり ときいろ ストイック ネット フィライト ダイヤ キセル バインダー 茗荷SE モル ピカタ ビリヤ モンテネグ レーガン 雪鏡 バニラエッ ニシキ イイギ トリスナー マーカ マルトー

やがて戦いの果てに魔王は封印され、平和が訪れた。

それから悠久の時が流れたメイプリーズ大陸を、ある日を境に再び戦火が包む。それはサミゼンス家の反乱によるものだった。その窮地を救ったのは、奇しくも伝説の勇者・マクラクランと同じ名を持つ放浪の剣士。戦い終わりこの地に留まった彼は、離れ小島のヘッセン島はナトカ村に居を構え、やがて2人の息子を授かる。強気で元気な兄・カインと、弱気で貧弱な弟・アベル…だが10数年後、亡き父同様に勇者となったのは弟のアベルであり、兄のカインはお気楽第一な優男と成り果てていた。

幼少時とはまるで正反対だが共に伝説の勇者の名を冠している2人の兄弟、そして彼らの間に立つ幼馴染の少女・ショコラ。この3人を巡り、時と運命の物語は今、動き出す…。

カイン・マクラクラン
この物語の主人公。長く伸ばした銀髪が特徴。幼馴染のショコラとは弟のアベル共々、ヘッセン島のナトカ村で兄弟同然に育った。魔王討伐とショコラを巡り、弟とはライバル関係になる。もっとも、昔はともかく今ではお気楽が信条で剣の腕も弟に及ばない上、女の子への性欲と情熱だけで日々を生きているような優男だが、何故そうなったのかは…。

ヒロイン
ショコラ・ブランデル
メインヒロイン。カインとアベル共通の幼馴染。ヘッセン島の領主の一人娘だが、実は血が繋がっておらず、養女として育てられた。両親の他、ナトカ村の誰からも愛される、優しくお淑やかな少女である。メイプリーズ大陸に伝わる伝説の聖女と同じ名を持ち、序盤で忽然と蒸発してしまう彼女の出生は、この物語の根幹に深く関わっている。
アベルよりはカインに惹かれているが、時間切れによるゲームオーバーを迎えた場合、アベルと喜んで結婚式を挙げる。
リキュール・シュカンディ
カインに同行するキャラクターの一人。クラスは魔法使い。メイプル王国の城下町で医院を開き、マフィンの主治医を務めている少女。魔法医師になったのは名医トリュフ・ローリーの自伝本に感銘を受けたからであるが、彼女本人は治癒魔法より攻撃魔法に長けている為、今では理想と現実とのギャップに悩み、深酒して酒に飲まれてしまうことも。いつも着用しているローブの為に着痩せの激しいナイスバディ(特にヒップ)と、大きな丸眼鏡がチャームポイント。
ルッシェ・ウォータートン
カインに同行するキャラクターの一人。クラスは剣士。まだ成年前の明朗活発な少女で、ドレスが良く似合う年頃にもかかわらず、メイプル王国衛兵隊長に任命された。しかし任務を真面目にこなすその一方で、古参兵の反発を買っていることや、衛兵隊長としての重責を負ったことに悩んでいる。物語の都合上、クリムとは相対する位置にある為、カインは二人の内どちらかしか連れていけない。容姿のモデルは『ヴァリアブル・ジオ』の武内優香。
クリム・クロケット
カインに同行するキャラクターの一人。褐色の肌を持つ賞金稼ぎの少女で、クラスは銃士。愛馬シルフィードと共に、今は亡き義兄の仇を追ってメイプル王国を訪れた。ナイスバディ(特にバスト)と素肌も露にラフな格好で様々な銃を使いこなす男勝りだが、義兄を今も慕い続けるなど、歳相応の少女らしい心も持ち合わせている。物語の都合上、ルッシェとは相対する位置にある為、カインは二人の内どちらかしか連れていけない。
杏仁
カインに同行するキャラクターの一人。いわゆる中華系の少女で、クラスは戦士。メイプリーズ大陸から遠く離れた異国よりやってきた。忠義と礼節を重んじる性格と、会得している殺人拳法でポンチのボディーガードを務めている一方、彼には酷い性癖を仕込まれており、街中で鞭打たれても逆らえない絶対服従の立場にある。
ガナッシュ・パトレーゼ
右の肩から二の腕にかけて彫られている髑髏の刺青が印象的な、美しき女盗賊。裕福かつ傲慢な貴族からしか盗まない盗賊団「蒼ざめた月」の長を務める。マドレーヌと名乗り、ブランデル家にメイドとして潜り込むが、元はメイプリーズ大陸先住民族のクロベールに育てられた孤児。義を重んじ、彼らへの恩返しと養う為に盗みを働いている。
シュクセ・ダフィ
城下町の南に位置する森の奥深くで修道院に一人住んでいるシスター。普段はカインのカルマチェックを行ってくれる。また、清楚で美しい容姿と、どんな犯罪者にでも優しく接しようとする慈悲深さでも有名だが、実は強烈なマゾの気を持っている。
セリス・カスタード
ユルブレストで酒場を一人切り盛りする女性。踊り子と見間違われんばかりの美貌を持つ上、情報通でもある。キュラソーに想いを寄せているが、それは片想いでしかない。
シェイク6姉妹
セプテムの娼館で人気の6つ子少女娼婦。ほくろの位置以外は皆全く同じ容姿をしており、それぞれが一人ずつ各曜日に分かれて客に応じる。担当は、バニラ:月曜日、メロン:火曜日、レモン:水曜日、ストロベリー:木曜日、カフェ:金曜日、ピーチ:土曜日。全員の目に適えば、最終的には日曜日にまとめて7Pが可能。
マフィン・マニホールド
リキュール医院に入院中の盲目の少女。アベルに憧れており、その武勇伝を心の支えに、長い闘病生活を送っている。視力回復後はカインに惹かれて行く。
トルテ・タルト
トリアディアで最も貧乏と称されるほど貧しい少女。両親が遺した莫大な借金を抱えている。共に暮らす弟達への面倒見は良いが、天性の楽観的な性格と粗末な衣服の下のナイスバディは、長所でもあり短所でもある。
ミルフィーユ
メイプル王国の王女。愛らしい容姿と言動で、国民にはアイドル的存在として親しまれている。しかし、城下へなかなか出られない日々の生活には、旺盛な好奇心からも少々嫌気が差してきている模様。物語冒頭、ガルガンチュアに石化の呪詛を掛けられてしまう。
ノワゼット
メイプル王国の女王にしてミルフィーユの母。とても年頃の娘がいるとは思えない美貌を持ち、国民の憧れの的。しかし、王家に嫁ぐ前はサミゼンス家の人間で、25年前の反乱にも関わりを持っていた。
ティラミス・アーンスランド
ガルガンチュアの復活に伴い、2千年間の眠りから覚めたサキュバス。その性欲は凄まじく、2千年分の乾きを癒そうとトリアディアの町を襲い、一晩で壊滅させてしまうほど。ガルガンチュアとはいわゆるセックスフレンドに当たる間柄。
『ヴァンパイア』に出てくるサキュバスのモリガン・アーンスランドとは名字も同じだが、全くの無関係。
パンナコッタ
時の浮島クロノポリスに一人で住みながら、永遠に流れ続けるこの世の時間を見守り続ける女神。2千年前にガルガンチュアがメイプリーズ大陸を襲った際、人間の勇者マクラクランを導いた。

その他
アベル・マクラクラン
カインの弟で、魔王討伐とショコラを巡ってのライバル。燃えるような赤毛が特徴。幼少時は兄とは対照的に弱気だったが、ある日、謎の熱病に侵されてからは性格が一変。メキメキと頭角を現し、数々の冒険で功績を上げるまでになった。しかし、そんな表面とは裏腹に性格はあまり良いとは言えない上、女癖も兄以上に悪く、行く先々で魅力的な女の子に声を掛け仲良くなっては放置…を繰り返す毎日。容姿のモデルはアドル・クリスティン。
ポンチ・ローリー
カインに同行するキャラクターの一人。クラスは魔法使い。女癖の悪さもさながら、ハッキリ言ってド変態だが、父である名医トリュフの血筋ゆえか、強力な治癒魔法を使いこなせる。醜悪な容姿のモデルはキャラクターデザイナーの木村貴宏自身。
ボベス・バルバリシア
魔王復活の噂を聞き付けてメイプル王国を訪れた、大柄な全身が傷だらけの賞金稼ぎの男。カインに絡んだりシュクセに一目惚れしたりと、脇役でありながら様々な所で物語に関わる。
こくおう
メイプル王国の第48代国王。ノワゼットの夫であり、ミルフィーユの父でもある。普段は理解不能な言葉(一応は側近が翻訳してくれるが、キーボードを見ていればある程度読める)を喋りながら、カインのレベルチェックを行っている。彼に認められるだけのレベルに達していなければ、ガルガンチュアの元へ向かうことはできない。「こくおう」は本名。
キュラソー・サミゼンス
サミゼンス家の長男にしてユルブレストの領主を務める美青年。25年前の反乱にも関わりがある。セリスの酒場を拠点に、革命を起こそうと目論む。
ボスコ・ピスターシュ
アベルの武勇伝に憧れ、メレンゲ王国からやってきたという騎士見習いの青年。角刈りにおちょぼ口で、男の汗の臭いが好き…と、独特の容姿と少々危険な言動で周囲を振り回す。しかしそれは仮の姿で、真の目的はアベルの暗殺にある。
サブレ・ピジョンボイス
メイプル王国衛兵隊の副隊長を務める髭面の男性。年齢や剣の腕前から隊長になれる筈の自分ではなく、ルッシェが隊長に任命されたことから彼女を激しく逆恨みした結果、ガルガンチュアに浸け入れられてしまう。容姿のモデルは東方不敗マスター・アジア。
ガルガンチュア
魔王。2千年前のメイプリーズ大陸に殺戮と破壊をもたらし、今また復活の時を迎えた諸悪と恐怖の存在だが、その正体は…。
彼を倒すことがゲームクリアの為の最低条件。巨大化時の容姿のモデルはデビルガンダム。
聖女ショコラ
2千年前のフォルタレザ王国でクロベール達からも慕われていた、ショコラと瓜二つの外見と名を持つ人間の少女。クロベールの優れた科学技術を奪おうと画策した一部の愚かな人間達によって串刺しにされ、帰らぬ人となる。その後、彼女の存在は伝説の聖女として、人類の歴史に祭り上げられた。
シプール
2千年前のフォルタレザ王国で栄えていたクロベールの科学者。聖女ショコラに想いを寄せていたが、彼女が殺害されたことで…。容姿のモデルは下川直哉。

2009年01月27日

礼号作戦(れいごうさくせん)

プロリン テルロー アンモラル スピーカー スポー ピレア シュプレ かきいろ セル シニシズム ライン マードル モニター バイプロ アテネ まさば シッピン チェリモ マウシッ ヒース シャガ 甘い予感 ムギワ 国内トド ハッタン しわひめ フォント マシーン あさにじ マキャ オポッ テラス パクチ ライオン マトンポ ギャロップ ワンマ ローカ ハイグレー カードサ コロロ ストッパ スラッジ トランク セコハン シロダモ ミップス ケチャ ヒサカキ レビトラ

礼号作戦(れいごうさくせん)とは太平洋戦争末期、1944年12月26日に実行された日本海軍によるフィリピン、ミンドロ島のアメリカ軍に対する攻撃計画のことである。ミンドロ島沖海戦が発生した。

12月15日早朝ににアメリカ軍を中心とした連合国軍がミンドロ島に上陸した。米軍の戦力は直接攻略部隊がストラップル少将率いる重巡「ナッシュビル」他護衛駆逐艦12、輸送駆逐艦8、LST30、LSM12、LSI31、掃海艇17、雑舟艇14、その直接護衛艦艇として重巡1、軽巡2、駆逐艦7、高速魚雷艇23、更に護衛空母6、戦艦3、重巡3、駆逐艦18が上空援護部隊として間接護衛するといった内容であった。

これに対し、日本海軍は水上部隊によるミンドロ島西部マンガリン湾のアメリカ軍への攻撃を決めた。まず16日には第43駆逐隊の駆逐艦「榧」、「杉」、「樫」による計画が立案されたが、故障などで実行できなかった。日本軍航空部隊も米軍に向けて攻撃を開始。フィリピンの各航空基地からなけなしの機体を繰り出し、特攻機とその護衛機併せて海軍47機、陸軍13機が攻撃に向かった。しかし、米軍の防空網に阻まれ、陸軍機は全機撃墜、戦果無し。海軍機も特攻機がLST2隻を撃沈したものの、帰還機が僅か十数機という大損害を蒙った。その後も小規模ながら日本軍の波状攻撃は続けられたが、物資集積所に小規模な火災を起こした程度で16日にはサンホセは完全に占領されてしまった。

この敵上陸に対し、連合艦隊司令部は直ちにミンドロ島逆上陸を検討したが、既に上陸作戦に耐え得る戦力は無かった日本軍は、少しでも打撃を与えるべく海上からの敵上陸部隊への艦砲射撃を企図し、フィリピン近海に存在していた日本海軍艦船をかき集めて南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将は木村昌福少将を司令官とする挺身部隊を編成し、その任にあたらせた。第四航空戦隊の航空戦艦「日向」・「伊勢」も出撃可能であり、作戦参加も検討されたが、低速の為部隊からはずされた。

戦力
日本海軍 挺身部隊(司令官:木村昌福 第二水雷戦隊司令官)

第一挺身隊
旗艦:駆逐艦 「霞」
一番隊:駆逐艦 「清霜」、「朝霜」
二番隊:駆逐艦 「榧」、「杉」、「樫」
第二挺身隊
重巡洋艦 「足柄」
軽巡洋艦 「大淀」

出撃
12月24日、駆逐艦「霞」に将旗を掲げて挺身部隊は仏領インドシナのカムラン湾を出撃した。尚、木村少将はこの作戦の指揮にあたって、旗艦を通信設備の整った軽巡「大淀」や重巡「足柄」ではなく、小回りが利き機動性のある駆逐艦「霞」を選んでいる。木村少将が「霞」を旗艦に選んだ理由としては、設備は整っているが作戦の為の臨時編成として艦隊に急遽追加された「大淀」や「足柄」よりも、元々一水戦(第一水雷戦隊)所属で木村少将が一水戦司令官時代、旗艦「阿武隈」がレイテ沖海戦で撃沈されてから代わりの旗艦として座乗し、乗り慣れていた意思疎通の容易な「霞」を選んだため、という説もある。

挺身部隊は当初マニラに向けて航行する偽装針路を取った。これが奏効したのか24、25日と連合軍の触接も受けず挺身部隊は順調に進撃した。26日未明、針路を南南東としミンドロ島沖への針路を取る。11時37分南西方面艦隊司令部より挺身部隊に宛てて「飛行偵察ノ結果、ミンドロ方面ノ敵艦船少ナキガゴトキモ、本状況ハ一両日間変更ナキモノト認メラルルニツキ、予定通リ本夜突入スルヲ可ト認ム。」と通信が入る。

この情報より木村司令官は麾下の全軍に以下のように訓示した。

“ 挺身部隊ハ予定ドオリ突入ス。各隊ハ一層警戒ヲ厳ニシ、敵ノ奇襲ヲ未然ニ封ジ、全軍結束、作戦目的ノ達成ヲ期セ ”

部隊はどんどん南下していったが、依然連合軍に発見されなかった。午後4時3分、かねての予定通り、「足柄」から対潜哨戒機が2機発進する。この20分後、遂に挺身部隊は米軍に発見される。1機のB-24が挺身部隊を発見すると触接し直ちに周辺部隊に向けて「敵発見」の打電を行った。しかし、これを木村司令官は意に介せずそのまま部隊を進撃させ、関係各部に対して「予定通リ、突入ス」と打電した。18時から20時にかけて続々と米軍機が部隊上空にやってくるが、数が少なく周辺を飛行するだけで攻撃はかけてこなかった。

空襲
現地は18時39分、日没を迎えた。しかし当日の天候は晴れ、月齢11と夜になっても部隊は上空から丸見えであった。20時45分、まず「朝霜」が爆撃を受ける。これは命中しなかったが、これを皮切りに続々と米軍機が各艦に攻撃を始めた。21時01分、今度は「大淀」が爆撃を受ける。250kg爆弾2発が命中したが何故かこの爆弾には信管が付いておらず、一発は艦橋脇を貫通し海中へ突入し、もう一発は缶室直上まで甲板を貫通して止まった。そして次に「清霜」が狙われた。「清霜」は左舷中部に爆弾1発が命中、これが機関室を直撃、航行不能となる共に浸水が始まった。しかし他艦に救助に当たる余裕は無く、洋上に停止し炎上する「清霜」を取り残して各艦は進撃していった。「清霜」はその後30分ほどで沈没した。

艦隊突入ス
挺身部隊は先の損害の他、「足柄」が被弾し小破したがそれ以外の損害は無くマンガリン湾に突入し、23時40分頃サンホセの敵上陸地点に向けて攻撃を始める。まず、上陸地点沖合にいた輸送船4隻に雷撃を加えたあと、海岸の物資集積所に向けて砲撃を開始。約20分砲撃した後、27日午前0時04分、木村司令官は攻撃終了命令を出し、部隊は避退行動に移った。避退途中で木村司令官は「これより「清霜」の救助に旗艦があたる。各艦は合同して避退せよ」と下令する。そして上空に敵機がおり、敵魚雷艇の襲撃の危険性がある中で「霞」は機関を停止して「清霜」乗員の救助を始めた。そのうち、2隻の米魚雷艇が攻撃を仕掛けてきたが、命令を無視して旗艦周辺で警戒に当たっていた「足柄」、「大淀」が「霞」の側面に立ちはだかると照射砲撃でこれを撃退した。更に「朝霜」も機関を停止すると救助活動を始めた。両艦は2時15分、救助活動を終了し、残存の部隊全艦でカムラン湾へ無事帰投した。尚、「清霜」乗員342名のうち隊司令、艦長以下258名が救助された他、5名がその後米軍魚雷艇に救助され、戦死、行方不明は79名であった。

アメリカ海軍は艦隊を派遣したが、日本艦隊を捕捉することは出来なかった。(なお、アメリカ側記録では、当海戦での損害は輸送船1隻撃沈と荷揚作業が一時中断した程度になっている)

この作戦は大成功であったものの、完全に日本軍に対し不利になっていた戦況には何の影響も与えなかった。なお、太平洋戦線における帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利である