鏡花は有名な潔癖症で、このことは文壇にひろく知られていた。食事は家で夫人の作るものしか口にせず、もらいものの菓子をアルコール・ランプで炙って食べたり、酒などはぐらぐらと煮立つまで燗をつけなければ絶対に飲まなかった(これを文壇で「泉燗」と称した)。手づかみでものを食べるときは、つかんでいた部分は必ず残して捨てた。手元にいつでもちんちんと鳴る鉄瓶があって煮沸消毒できるようになっていないと不安がったという。
潔癖症のせいで「豆腐」の用字を嫌い、かならず「豆府」と書いた。しかしそのわりに豆腐そのものは好きでよく食べたし、貧乏時代はおからでもっぱら飢えをしのいだ。
谷崎潤一郎、吉井勇と鳥鍋を囲んだとき、無頓着な谷崎は「半煮えくらいがうまい」といって次々に鳥を引きあげてしまうので、火の通った肉しかこわくて食えない鏡花は「ここからは私の領分だから手を出すな」と鍋に線を引いたという。
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中華料理にさそわれて知らずに蛙の揚げものを食べてしまい、「とんだことをした」とあわてて宝丹を一袋ぜんぶ飲んだことがある。生ものはむろんだが、海老、蝦蛄、蛸のようなグロテスクなかたちをしたものも絶対に口にしなかった。
お辞儀をするとき、畳に触るのは汚いと手の甲を畳につけていた。ただし信仰心はきわめてあつく寺社仏閣の前ではかならず土下座したと伝えられる。また、自宅の天井板の合わせ目には全て目張りを行っていた。